11月12日 昨日の雨が上がり青い空の下、北アルプスの山頂は雪化粧。
心地よい風に誘われ紅葉の霊松寺を目指す。
霊松寺(れいしょうじ)は1404年に建てられた長野県最古の曹洞宗(そうとうしゅう)寺院。1847年に善光寺地震により七堂伽藍が炎上倒壊するが、1883年本堂再建。その他の部分は古い建築物が残る。
境内にあるイチョウやカエデの紅葉と古い建築物とが相まって落ち着いた雰囲気を醸し出しており、美しいお寺です
寺院を見学させ頂く、屋根は雪害を防ぐために急こう作られ上部はがらんとしている。 建物に使われている大梁はかなりでかいのがある、寺の資料ではこの梁長さ20mあり木材は近隣の村から引きずって山を越え運んだそうで、作業員には途中酒を飲ませて労をねぎったそうだ。 正直、酒でも飲まなければやってられなかったかも。
この山門は松川村にあった山門を明治10年、50円で買い取り移築
この山門、釘は使わず継手で製作、屋根付近は載ってるだけらしい。 もちろん柱脚のアンカーはないとのこと。 そのせいか平成26年大北地震の時は屋根や柱がずれたとの事、倒壊しないのが宮大工の腕か!たいしたもんだ。
本堂に入ると天井に竜が、もちろん鳴き竜。
床付近で拍手をするとコロロと鳴くプラッターエコーなどと横文字片づけるのはやめよう、鳴き声を楽しむ。
下の写真には隠し部屋あり、答えは左奥の壁。 扉が開いた時の写真は思いっきりピンボケ見せられないのが残念。 まるで昔の忍者屋敷このお寺30世住職は好きだな~と思ったが理由があったようだ。
明治期の神仏分離令の拡大解釈による廃仏毀釈運動により松本藩から寺の除去焼却命令にがでるが、住職ら抵抗を行うが軟禁される。 そんな中、松本藩が来た時監視や隠れるための部屋を作ったらしい、すぐばれてしまいそうな気がするが・・・。
結局この御仁、松本藩と対話がまとまらず時の政府太政官に直訴する為上田(松代藩はお寺存続派)を通り抜け山を歩き東京まで行く。松本藩の目を盗んだ旅で大変だったろうなぁ 直訴の結果この様な立派な御仁のおられる寺をつぶしてはならないということで寺の存続ができたそうです。(ホンマかいな??) ちなみにこの話は現御住職から伺ったの話です。 気になる方はご自分で調べてみてはどうでしょうか。
このお寺は標高800mくらいでここから湧水が出ている。この水が生活用水で水道は敷設されていない。この山は標高1000mくらいだが水のは枯れたことはないそうです。
従ってトイレの水もこの湧き水。
冬はとても寒く道路は雪に覆われ除雪車も入らない。日中でもー10度以下になるのでやはり麓に下り、定期的に麓から歩いてお寺に通うそうです。
一冬修行したら人間ができるかなぁ~、根性や努力そして我慢の文字がみえない私にはむりっぽい、別の修業を考えよう。
0コメント